|
site map
new entry
|
||||||||||||
|
maindiary
新しい記事を書く事で広告が消せます。 maindiary
みなさんおはようございます。
ヘソのゴマだけで担担麺を作るとしたらどれくらい風呂を我慢すればいいのでしょうか、さとるです。 さて。 「人は何のために生まれ、何のために生きるのか」 人は誰しも自分の存在に悩み、苦しみ、のた打ち回りながら生きる意味を問い続ける時期を迎えます。 いわゆる「思春期ブルー」と呼ばれるこの時期に僕らは終わりなき自問自答を繰り返しては深みに落ち、 じめじめとした感情のうねりの中で身悶えしながら声にならぬ嗚咽を必死に押し殺す日々を過ごします。 「人は幸せになりたいがために生きている」 この言葉は、まだケツの穴が青かった中学一年生の頃のさとる少年が校内文集にしたためた言葉です。 皆さんは「アナル性感帯の存在すら知らない青二才が知ったような口を叩くな!」とお思いでしょうが、 今こうして大人の階段を上った僕からすれば、我ながら至極ごもっともな言葉ではないかと思う訳です。 僕らは日々の生活の中で理不尽な要求を突きつけられることで世の中の不条理さを痛感する訳ですが、 どんなに世の中の不条理さを痛感しようとも、僕らはいまこうして歯を食いしばりながら生きています。 クソ上司どもは全員キャラメルの食べすぎで虫歯になって苦しんでしまえ!と思いながら生きています。 そしてその原動力となっているのが、人によって形は違えど幸せになりたいという欲求なり願望です。 言いたいことも言えないポイズンな世の中には幸せなんてほんの一握りしかないのかもしれないけれど、 でも僕らがこうして絶望せずに生きられる理由は、ほんの一握りの幸せがあるからではないでしょうか。 「男はおっぱいにむさぼりつきたいがために生きている」 おっぱいが男たちにもたらすもの、それは“1%の希望と99%の絶望”であると僕は考えています。 無心でおっぱいにむさぼりつく行為は、男たちにこの上ないエクスタシーをもたらしてくれる訳ですが、 このエクスタシーが1%の希望だとしたら、残りの99%は男たちの涙ぐましい努力と絶望の日々です。 そもそも、おっぱいにむさぼりつくという行為は、男一人の力で自己完結できる行為ではありません。 おっぱいの所有権はあくまで女が保持しているからして目の前に女が存在していることが大前提であり、 目の前に女が存在していなければ、男たちは“おっぱいを舐めずに苦杯を舐める”結果に終わる訳です。 そうはさせじと奮起した男たちはあらゆる手段を尽くしてでもおっぱいにむさぼりつこうと考えます。 ある者は嫁を酔わせ、ある者はコンパを開き、ある者は駅前をさまよい歩き、ある者はネオン街に消え、 漆黒の闇の向こう側にあるおっぱいという名の楽園をめざして道なき道を突き進んで行くのであります。 とはいえ、おっぱいという名の楽園へと無事にたどり着ける者は、ほんの一握りの選ばれし勇者のみ。 大半の男たちは道半ばで頓挫し、ある者はレンタルビデオ屋へと走り、ある者はエロサイトの海に溺れ、 ある者はBIGプッチンプリンで代用するという目を覆いたくなるような惨劇が繰り広げられるのです。 「人生とはおっぱいであり、おっぱいとは人生である」 このように、男にとっておっぱいをめぐる冒険とは、まさしく人生における希望と絶望そのものです。 幸せになりたいがために生きる存在が人ならば、おっぱいにむさぼりつきたいがために生きる存在が男。 たとえ99%の絶望を味わおうとも、そこに1%の希望がある限り、男はおっぱいを求め続けるのです。 どんなに辛くとも、どんなに苦しくとも、おっぱいという名の人生には一握りの幸せが存在している。 男がおっぱいを愛するということは、男がおっぱいの所有者である女の人生を愛するということであり、 男がおっぱいを求めずにはいられないのは、男が女からの愛なくしては生きられない子羊だからである。 「男はいくつになってもか弱き乳飲み子のままである」 という訳で、おっぱいの中には女の人生そのものが詰まっていると考えるのが妥当ではないだろうか。 おっぱいとは所有者である女が歩んできた人生を詰め込んだ「思い出アルバム」のような写真集であり、 どこで生まれ、どのように育ってきたのかといった「女のヒストリー」を事細かに記した伝記であると。 だとすると、男がおっぱいを揉む行為に対して女がケチをつける筋合いなんてないと僕は思う訳です。 なぜなら、女は事あるごとに「卒アル(卒業アルバム)見せて!」みたいなことを言ってくる訳ですが、 女が男の部屋で卒業アルバムを見たがる心理と、男がおっぱいを揉みたがる心理は全く同じだからです。 なぜ女は男の卒業アルバムを見たがるのか、それはもちろん「男のヒストリー」を知りたいからです。 同様に、なぜ男はおっぱいを揉みたがるのか、それはもちろん「女のヒストリー」を知りたいからです。 男女を問わず人間という生き物は往々にして異性に秘められた過去を知りたがる野暮ったい生き物です。 にもかかわらず、女がおっぱいを揉みたがる男を軽蔑し、汚い物でも見るような目で見るのであれば、 我々男は卒業アルバムを見たがる女を軽蔑し、視姦という名の辱め(はずかしめ)に処したい所存です。 何こいつ?卒業アルバム見ながら濡れてんの?ホントどうしようもねぇなこの淫乱メス豚が!みたいに。 という訳で、おっぱいの中身とは脂肪でも乳腺でもなく、ましてやロマンでもファンタジーでもなく、 おっぱいの所有者である女の人生そのものを事細かに記した「ヒストリー」であることが判明しました。 尚且つ、おっぱいを揉む行為とは「思い出アルバム」のページをめくって女の過去を知る行為であると。 さらに、この理論は「巨乳至上主義」の思想を根本から覆すであろう革新的なおっぱい理論でもあり、 この理論の詳細を知れば、皆さんのおっぱいの愛し方が185°くらい変わると断言しても構いません。 紙幅の関係で本日はこの辺で筆を置かせていただきますが、次回、おっぱいの歴史が生まれ変わります。 という訳で、次回はおっぱいに秘められた真実を皆さんの前で暴いて進ぜましょう。 (第四部へ続く) |
|||
|
comment
comment
|
|||||||||||||||||||||
|
trackback
|
||||||||||||
|
access ranking
blogpeople
site information
mail form
rss feed
profile
blog pet
new entry
new comment
new trackback
archive
word search
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||